伊谷純一郎

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1958年3月
撮影者 伊谷
場所 ルチュル、ウガンダとコンゴの国境
1958年、ウガンダとコンゴ(ザイール)の国境ルチェルの橋(Dr. Imanishi)のほとりで(Ruchurn River)
橋の対岸はコンゴ・ベルジュ領である。この河辺林にはチンパンジーがすむ。
チンパンジーとライオンが隣り合っているわけだ。

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1958年3月
撮影者 伊谷
場所 キソロ、ウガンダ
Mr.W.Baumgartel at Kisoro S.W.Uganda
バウムガルテル氏は、ムフンビラ山のマウンテンゴリラで観光客をふやし、彼のキソロ・トラヴェラーズ・インの経営発展を考えていた。今西先生とバウムガルテル氏
バウムガルテル氏はアミン時代のはじめウガンダからのがれ、ドイツに帰国し、20世紀末に他界。

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1958年4月
撮影者 伊谷
場所 カンパラ、スピーク・ホテル
Mrs. J. Donisthorpは1957年に、南アのProf Reymond Dart が応募したマウンテンゴリラの調査にこたえ、Kisoroで、MuhnvaraでMgahimgaのゴリラ調査をおこなった。その翌年おとずれた私たちをカンパラのSpeke Hotelにたずねていた。彼女は当時カンパラの旅行社で働いていた。英国人である。その前年1956年には、Dr.L.S.B.Leakeyの秘書 Miss Rosary Osbornが同じくKisoroで調査している。

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1958年4月
撮影者 伊谷
場所 ルヴェロ、I.R.S.A.C.
当時のI.R.S.A.C.の所長、Dr. Van den Berg、I.R.S.A.C.の山手の豪荘な家に住み、研究所までは馬で通っている。そのすぐ近くに3頭のゴリラがオープン・エンクロージャーの中に飼われていた。