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解説:中川尚史.一通のお手紙を通じた交わりー伊谷純一郎先生への追悼文に代えて−.人間文化,2002,17:135-138.
                                       

                                                               

(要旨と解説)

 故伊谷純一郎先生が京大定年退官後勤められていた神戸学院大学人文学部の機関誌の伊谷先生追悼号に収めて頂いた、私なりの先生への追悼文です。先生との想い出を書き綴る一方で、十分な根拠は示していないものの私自身の新しいアイデアを初めて提示した若干ですが論文的色彩を帯びた一風変わった追悼文です。

伊谷先生にも、今回のように出版された拙論の別刷をお送りしていました。ある時お送りした拙論が、先生の研究人生の初期に提唱された『同心円二重構造モデル』に関するもの(中川、2000)と、先生が一度は訪れてみたいと思われていたカメルーン北部についてのもの(Nakagawa, 1999; 2000)だったこともあり、すでに病床に臥されていたにもかかわらず、長文のコメントを拝受しました。そしてこのコメント、ならびに先生の最期の論考となった『アフリカの植生図・一私案の提示』(伊谷・寺嶋、2001)から、私は幾つかの研究上のヒントを頂きました。特に、先生が注目されてきたミオンボ林の分布は、私自身の研究対象である「パタスモンキーの南進を阻む障壁となったのでは?」というアイデアにつながりました。

このように、伊谷先生の最初期と最期の論考に触れ、しかも先生からのコメントが私自身の研究の進展に繋がったことに謝意を表した、きっと先生にも喜んで頂ける追悼文に仕上がったと自負しています。