伊谷純一郎 アルバム6

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再びアメリカに戻る。ペンシルヴァニア、ジャクソンビルに、霊長類学のパイオニア、ペンシルヴァニア・ステート・ユニヴァーシティーのC.R.カーペンター教授をたずねる。太平洋戦争で長男を失った博士だったが、親切で、この学問の発展につき誠意をもって語って下さった。“プリマーテス”誌第一巻、第一号を手に持つカーペンター博士と今西先生。

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下 シカゴ大学では、L.S.ウォッシュバーン教授が私たちを待っていて下さった。のちにキャリフォルニアのバークレー校に移り、いまも健在だと聞いている。(編者注:ウォッシュバーン教授は2000年4月16日に逝去された)のちにアメリカの人類学会の会長をつとめた。当時、教授は弟子のアーヴィン・ドゥヴォーをアフリカのヒヒの研究に派遣しようとしていた。カーペンター博士が博物誌的手法で霊長類研究を始めたのに対し、ウォッシュバーン博士は人類学的立場、つまり人類学における新しいヒューマン・エヴォリューションの研究として、これからの現生霊長類研究を位置づけていた。そして、1960年代、欧米でこの新しい波が大きな発展を見せることになる。日本では、すでに10年前に今西先生を中心として同じ動きがあり、すでにニホンザル、ゴリラを手がけていたのであるが。