第27回 「牧畜民トゥルカナ2:しきたりかっこよさ、そしてナキナイ

「トゥルカナは長身である。男性の痩せた体躯は、ある決断に呼応する鋼のような瞬発力を内に秘めているかのように見える。女性のすらりと伸びた背すじと、山羊皮の腰巻き(アポ)にまとわれた下半身のプロポーションが美しい。一人一人のマスクには、照りつける陽光と乾きが、不屈で誇り高い独特の相貌を彫み込んでいる。太陽と大地と家畜、この単純な幾何図形の上に、トゥルカナの一切を切り詰めた生活が築かれている」(『自然の慈悲』231-232頁)

トゥルカナの人たち(1)(撮影太田至+伊谷コレクション)

 さて、第24回ではトゥルカナでの「村入り」の顛末を述べましたが、長年アフリカの人々に親しんできた伊谷先生にとっても、戸惑うことが多かったことはお分かりいただけたかと思います。トゥルカナの人びとは最初、自らの名も、土地の名も、悪意を感じさせることなく“実名”をあかさず、申し合わせたように“偽りの名”で押し通しました。そこに通訳があらわれ、先生たちが「山羊や羊を殺しにやってきたわけではない」と納得さえすれば、今度は、山羊を屠って先生らへの贈り物とします。この予想もしなかった展開に先生は瞠目します(下参照)。

1978年7月27日夕、夕食をとっていると、突然、山羊の贈り物をもらう

 上の図の赤い点線で囲んだ箇所を書き出しましょう。「(伊谷先生たちが)食事をしていたら、マニャッタの方からLubenyoともう一人Rapooの息子が大きな茶色の山羊を連れてきた。とくにたくましい雄の山羊だった。

「アミスが通訳する。私たち客に、この山羊をさし上げるという。これが来訪者に対するTurkanaのしきたりだという。私たちはどうすればよいのかと問うと、いるだけ(肉を)もらって、あとはもどせばよいという。力の強い山羊だった。大の男が3人がかりで(下の頁に続く)」

山羊を手際よく解体する

(上より続く)「角を押さえ、私のテントの横に連れてゆく。Taa(灯)のあかりでそのたくましい筋肉の盛り上がりが見える。つやのよい、強い、しかし明らかに自分の運命を悟っているかのような山羊だった。2人の男がそれぞれ前肢と後肢をそろえて持って、山羊を倒す。もう一人が首をのけぞらすようにして、押さえつける。Eoi(前回で紹介したようにこれは偽名で、本名はルペイヨック)が刀(アーム・ナイフ)で一気にのどをかき切る。血があふれ出て、そのまま1〜2分のうちに、最後の痙攣があり、死んでしまう。実に見事な屠殺だった。右の脛骨の下で切り落とし、脛骨の端のアキレス腱の間にロープを通す」

 『トゥルカナの自然誌』(54頁)では、伊谷先生は「(山羊の解体に)かいがいしくナイフをふるったルペイヨックは、すべてを終えて満足げだった。解体の過程を通じて、施主のラポーは一度も姿を現わさなかった。(略)私たちには、やっと村入りができたという安堵感があった」と付け加えます。

トゥルカナの人たち(2)

 太田は長年トゥルカナ社会の研究をしていますが、これらのしきたりや日頃の振る舞いでの“かっこよさ”について『交渉に生を賭ける』(太田、2021)の中で、以下のように書いています。

「「おー! おまえは今日も、ヤギの放牧をしているのか」「そうだよ、きつい日射しに焼き尽くされそうだ」

「わたし(太田)は、この人びとの強烈な個性に魅せられていった。彼らは、灼熱の大地をどこまでも歩き続ける強靭な身体をもっている。(略)誇り高く、快活で率直であり、自分たちの生き方にゆるぎない自信と矜持をもっている。なにかの問題に直面すると確信をもってそれにとり組み、うまくいかなくても落ち込んだりせず、臨機応変にいさぎよく別の道を模索する。とにかく“カッコイイ”のである」(同書2–5頁)

トゥルカナの日常:左は1978年8月2日朝「6.00 すでに声がしている。6.30 a.m. 女の家(Ekal)の前で、(ミルクを入れた)ヒョウタンを吊ってゆする(撹乳:チャーニング=脂肪分を凝集させてミルクから分離してバターを作る作業)。山羊の母子がBoma(柵)の外に出されている。6.40 ヒョウタンゆすり」。右の写真は、上から牛からの搾乳、新しいミルクに酸乳をまぜる作業、小屋の壁につるしたヒョウタンなどの道具類。

 その一方で、トゥルカナ・ランドを訪れた異邦人は、一様にトゥルカナの人々の態度に戸惑いを感じます。それは、彼らが“トゥルカナ”のしきたりを何のためらいもなく異邦人にも要求するからです(このあたりは、異邦人を“Wageni”[スワヒリ語で「客」]=自分たちとは違う習慣をもった者として、対処するバントゥー系農耕民トングウェの世界とまったく異なります)。

トゥルカナの人たち(3)

「彼らはまた、現地で暮らすわたし(太田)にも同じようにふるまうことを求めた。彼らの生活や価値観に慣れていないわたしを「あなたは外国人だから」といって特別あつかいにするのではなく、「これが正しいやり方だ」と、同じ行動様式をとらせようとした。(略)どうしてそんな確信をもって自分を肯定できるのか―わたしは彼らの生き方をうらやましいと思うと同時に、ときにはとまどい、まごつき、辟易し、大きな違和感をいだいた」(同5頁)

 その典型が“ナキナイ”(トゥルカナ語で「私にください」の意)、すなわち、絶え間のない、そして執拗な“モノごい”、“ねだり”です。伊谷先生は『トゥルカナの自然誌』(195頁)に以下のように書いています。

「ナキナイ攻勢には、本当に手を焼いた。彼らは、全く天真爛漫にこのナキナイを繰り返すのだが、こうも執拗にやられるとこっちが泣きたくなる。(略)そこでこっちも逆襲に出る。何でもよい、彼らが身につけているもの、アーム・ナイフや、女なら首飾りなどに目をつけて、「ナキナイ」と手を示す。そのときの彼らの善良そのものというか、半分泣いたような頼りない顔が印象的だった。それは彼らに、断りのカルチュアが欠けているのではないかとさえ思わせた」

トゥルカナの身の回り品:耳かざりは金属製で女性が耳殻の上部にあけた穴につけます。エキチョロンは男性用の椅子・枕です。アーム(またはリスト)ナイフは金属製で男性用です。円形あるいはわずかに楕円形の薄い円盤のような形で、中央に手首を通す穴があり手首を傷つけないように革がついています。また、外側には刃がついており使わないときには革の鞘をかぶせます。槍は金属製で刃には革の鞘をかぶせます。

 ここで『交渉に生を賭ける』(太田、2021)から、補足しましょう。

「もう少し具体的に説明しよう。(略)わたし(太田)は、彼らの強烈な「モノ乞い」「ねだり」になやまされていた。それは、以下のようなものである。

「40代のトゥルカナの女性がやって来て、(朝食を用意している)わたしを厳しい表情でにらみつけ、演説口調で言う。「わたしはあなたに対して、なにかまちがってきたことでもしたのか。あなたは怒っているのか。わたしがいま、なにか食べる物をくれというのに、あなたは黙り込むのか

「読者は「いったい、これはなんの話なのか」「どうして喧嘩をしているのか」と、不可解に思われるに違いない。しかし、彼女と私のあいだに、なにか感情のゆきちがいがあったのではなく、(略)わたしが「よそ者あつかい」にされたわけでもない。このようにわたしたちを驚かせる「ねだり」は、彼ら自身のあいだでも日常茶飯事なのである。(略)トゥルカナの人びとは、(略)外部者にも「トゥルカナらしい」態度をとることを当然のように求める。(略)この経験は、一方ではつらいものだったが、他方では、その不可解さゆえにわたしを魅了していた」(『交渉に生を賭ける』6-7頁)

トゥルカナの人びと(4)

 さて、ある日の夕食後、伊谷先生は次々に現れるトゥルカナたちを見て「彼らがいったい、どれだけ私に物をせびり、私の物をむしり取ってゆくのか、一度記録してやろう」と思い立ちます(『トゥルカナの自然誌』243-245頁)

「5時30分、アミスが煙草(シガラ;エタバではなく、紙巻き煙草)をくれという。1本与える。エウォジットがすぐにそれを真似る。エソコニがやって来て、二人が煙草をふかしているのを見て、私にもくれという。・・・・8時10分、アぺイヨノニがエタバをくれといってくる。一つまみ与える」。この間ずっと続く“ナキナイ”攻勢にさすがに嫌気がさし、ノートをつけるのをやめてしまった先生ですが、「できるだけ自然に構えている結果がこうなるのだ」と慨嘆します。

 そして、和崎洋一氏が述べた、タンザニアのスワヒリ世界での“村入り”(下記参照)を例に出して、伊谷先生は「おそらくトゥルカナの心性は、バントゥー系の人たちとはまるで異なった構造をもっている。(略)私は、(トゥルカナで)すでに多くのシーダを持ち込まれてその処理をし、日々けっこう彼らとオンゲアを楽しみ、いろいろなことで相手にオンバしている。彼らのシャウリに参画するところまでには至っていないが、それでも段階は相当のところまで進んでいるはずである。それにもかかわらず第1段階のナキナイは一向にその鉾先をゆるめる気配すらないのである」

スワヒリ世界での村入りの5段階

Q.調査では、現地の方々とどんなふうに親しくなりますか?

A.「人類学者の和崎洋一さんが『スワヒリの世界にて』(1977)という本の中で“村入り”について、それは5段階に分けられる、と述べています。
第1段階は「ニペnipe*=give me」との対決の日々、つまり「物をせびられる」段階です。
第2段階は「シーダshida*=problem)」への応対。シーダとは困りごとのことで、それを次々に持ち込まれる日々という段階です。
第3段階は「オンゲアongea*=conversation)」を楽しむ日々とある。オンゲアは雑談をかわすといった意味です。
第4段階は、第2段階の逆で、こちらが相手に「オンバomba*=beg)」する。つまり頼みごとをする段階で、村社会の中の一人の住民として認知が確立された状態です。
それに続く第5段階が「シャウリshauri*=advice)の可能な段階で、村の相談ごとへの参画を意味します」
:nipeやshida等はスワヒリ語です。

(『トゥルカナの自然誌』245-246頁;口語体に変換するなど編集)

 とはいえ、トゥルカナの人々もまた、彼らなりの流儀で相手との付き合い方をはかろうとしていました。

「このあとさらに数か月彼らとともに生活した太田から、のちになってつぎのような述懐を聞いた。ある日彼ら(トゥルカナ)は、どうしてあなた(太田)は私たちに物を乞わないのかとたずねたという。たとえば、どうしてお前さんのもっている牛を私にくれといわないのかと問うたというのである。つねに物の授受を保っていればうまくゆくというのは、しかもそれを友好的な関係を保ってゆこうとするすべての個人と続けてゆかねばならないというのは、これは思ってみただけでも大変なことだ。しかし私は、与える一方の立場だったとはいえ、まさにその渦中で喘いでいたことになる。

「彼らとのアイデンティティーの最大の溝が“持つことと持たざること”にあるのだとすれば、いっそこのトゥルカナ・ランドの果てで、彼ら同様裸一貫無一物になるのが、彼らに融和しうる一番の近道であったのかもしれない」(『トゥルカナの自然誌』246-247頁)

(以下、次号)

編集・執筆:太田至・高畑由起夫
2026/1/30


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