第28回 「トゥルカナの子供たち」
伊谷先生をとくに引き付けたのはトゥルカナの子供たちでした。
「私は、この調査で一つの計画を立てていた。それは、精悍無比といってよい彼らのパースナリティー形成の謎に迫ろうということだった。そのためには、子どもたちの生い立ちを見るのがなによりだろう。子どもたち一人一人の出生、命名から始まって、育児、成長の過程、対人関係、年齢の各段階に課せられる仕事などについて観察し、要所要所は聞き取りを進めていった。
「子供たちはみんなから大切にされ、明るくのびのびと育っていた。この子供時代は、仮借ない決断力と鋼のような瞬発力とを秘めたトゥルカナのパースリティーとどこかでつながっているに違いない」(『サル・ヒト・アフリカ』90-92頁)。先生は、“村入り”早々に、子供たちの顔のスケッチを残しています(下図)。
なお、他の回と同様に、個人情報保護のため、個人・氏族名や特定できるような地名等は一部伏字にし、かつ青字で表記しています。また、写真は1978年から1980年初頭に撮られたもので、その後、トゥルカナの人たちの生活には大きな変化が訪れていることをご承知おき下さい。
1978年の村入り直後に描かれた2人の子供の似顔絵と、アウイの血縁・婚姻関係。図中の赤い〇は、描かれた2人の子供、Loc***(左;約12歳、牧童)とLot***(右;3歳、両親と別れ、祖母のNam***[当時60歳ほど]のアウイに身を寄せている)です。
「Lot***という名、デッドシーフルーツの木に由来する。典型的なトゥルカナの相貌をもった3歳の男の子。(略)大きなふくれあがったおでこ、突き出した楕円形の腹、出っ張った後頭部と尻、この子から受ける印象は何もかもが豊満なる凸で、デッドシーフルーツの実を連想させる」(『トゥルカナの自然誌』263頁;文章を一部改)
「一方、12才ぐらいの牧童Loc***の名は「町の近く」という意味で、町とはスワヒリ語を喋る人のいるところなのだそうだ。それはKak***のような町であり、彼はおそらくこのTar***(川)の河辺のいまでは廃墟になっているアウイのどれかで生まれたのだろう。(略)Lok***(彼の父親の長老)の山羊はすべてLoc***があずかっているから、Lok***家の生計はその細腕にかかっているといってよい」(同268頁;文章を一部改)。なお、上記の血縁図をたどると、Nam***はRap***とLok***の亡くなった母親たちの異母姉妹にあたるので、二人は母系でつながる遠縁になります。
それでは、あらためてトゥルカナの乳幼児から子供たちの生活史を紹介しましょう。
「トゥルカナの赤んぼうは、母親にしっかりと抱かれて育つ。うっかり手放すと、日中の地表はずいぶん温度が上がっていて火傷をさせかねない。抱かれている赤んぼうが大便をすると、母親は「インゴク、インゴク」と叫ぶ。すると、どこからともなく骨と皮ばかりの犬が現れて、赤んぼうの尻や布にくっついた大便をきれいに舐めてくれる。それが終わると、母親は犬を蹴飛ばし、犬は姿を消す」(『サル・ヒト・アフリカ』90-91頁)
トゥルカナの母子、幼児、そして犬
「子どもたちは男女ともに、自らが属する父系氏族に固有の髪型を結ってもらって、人生の第1歩を踏み出す。Ngip***氏族であれば、前頭、頭頂、後頭に3つの丸い髪の島を残してあとはきれいに剃り上げてしまうといったふうにである(下図)。その髪型は4歳くらいまでに見られなくなり、そのあと女の子は、頭頂に短冊型の髪を残しそれを撚って簾のように垂らすという成女の雛形のような頭に変わるのだが、男の子には定型といったものはない」(同91頁)。
1982年8月12日のノート
上のノートを書き下します。「ここの子供の頭の髪型は、前頭の頭頂はLum***といっしょだが、後頭に大きな丸い島を残した子がいる。あとでLup***からNgim***(氏族)だと聞く」「4つを残している子は、3つのNgip***(別の氏族)と同じで、大きくなると4つにすることがあるという。また、Ngip***は、女の子は2つだという。後頭に横一文字に残した子がいた。これはMuka***(さらに別の氏族)で、男性も女性も同じだという。このほかにも、Emachar(氏族)ごとに子供の髪型は異なっている」
さて、コドモ期にはいれば、男女とも“労働力”となります。彼らの拡大家族は、色々な成長段階の子供たちによって、多種の家畜キャンプを分担しながら維持しているシステムなのです。
「5、6歳で、男の子は日帰り放牧に出されるようになり、女の子は家事を手伝うようになる。私は彼らの生い立ちを見ていて、文明社会との大きな違いに目を見張った。彼らは何ごとをも、家人や先輩のすることを自ら進んで見習い、身につけてゆくのである」(『サル・ヒト・アフリカ』91頁)。
こうした記述を読むと、F・アリエスが『子供の誕生』で展開した「中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなく、子供は小さな大人とみなされた」との主張を想いおこされる方もいらっしゃるでしょう。
色々な仕事1:エトゥウォ(ヒョウタン)に入れた酸乳を揺らして、チャーニング(撹乳)するNap***、皮なめし、薪や建材集め、料理等
それでは女性の子供の仕事とは何か? 「Aky***は、Son***のアウイ*の13歳になる娘である。私は、君はアウイでどんな仕事をするのかと聞いてみた。(略)仔畜の給水。水運び。炊事。アウイの建造やその繕い。薪集め。搾乳。毎日の酸乳の撹乳。バターづくり。モロコシ畑の耕作、播種、除草。その実がなったあとの鳥追い。夜間女たちの夜の小屋(アカイ)の屋根にかぶせておいた牛皮を朝取りはずし、昼の小屋(エコリヤ)に敷く。夕方にはそれを夜の小屋の屋根にもどす。皮なめし。ビーズつなぎ。木製のミルク容器アクルムづくり。あとは遊び、と彼女はいう」(『自然の慈悲』250頁)(* これは1982年の調査にもとづく記述で、長老Rap***の死後、彼の長男Son***は長老Lok***のアウイから300mほど離れた場所に、別のアウイを構えていました)
一方、男性の子供はどうでしょう? 「Nab***の三男で11歳になるNat***に、君はどういう仕事をするのだと聞いてみた。彼は、山羊の放牧、食べること、遊ぶことと答えた。女の子に比べ、男の子の仕事は単純だ。放牧を任せられるようになるのは、それぞれのアウイの事情にもよるが、10歳前後からと考えてよい。それ以前に、上述の仔畜の世話が始まっていて、その仔畜が少し大きくなると、仔畜だけのハード(放牧群)をつくってアウイのまわりで放牧するのだが、その牧童には6歳から8歳くらいの子供が選ばれる」(同255頁)。
色々な仕事2.放牧、採血(食用)、給水、搾乳等
また、伊谷先生は遊びにも注目します。
「子どもたちの調査といっても、結局はこの溌剌とした一群のなかでともに時をすごしていたというだけのことだ。執拗に繰り返される物乞いを苦にすることさえなければ、それは楽しい時間だった。物乞いは彼らの口癖のようなものであり、要はそれを通して、私との距離をもっと縮めようとしているのだということはよくわかっていた。しかし乞われるということは、独特な心の構えをつくってしまうのである。ところが、彼らが乞うことを完全に忘れ去ってしまう時間帯があった。それは遊びで、一瞬のフィーヴァーのように突然にやってくる。
「私は、遊びの一つ一つを記載していった。(略)実に豊富な種類とそのヴァリエーションがあった。それが遊び道具を全くもたない彼らの世界なのかと、私は自分の目を疑った。(『サル・ヒト・アフリカ』92頁)
子供たちと遊び(1)
「私が子供時代にもっていたすべてのものは、ここにもちゃんと備わっていたのである。走りっこも、鬼ごっこも、かくれんぼうも、下駄かくしも、レスリングも、ままごとをはじめいろんなごっご遊びもあった。彼らのごっこ遊びは、巡査ごっこやお医者ごっこではなく、放牧ごっこや、略奪ごっこや、ハイエナごっこだった。ある子は山羊や羊に、ある子はハイエナやジエ族(敵対する隣接民族)になり、夫婦になった二人が小屋で寝ているところに家畜を盗みにやってくる。それを主人役の子が追いはらう。所変われば品変わるというわけだが、それが大人たちの真似ごとであり、彼らにとって興の尽きない遊びであることに違いはなかった」(『サル・ヒト・アフリカ』93頁)
子供たちと遊び(2)
しかし、こうした子供たちの生活に“不平等をもたらす要因”がもちあがります。「それはケニア政府が1979年に施行した義務教育制度によるものだ」。「この地方は1980年に悪夢のような旱魃(次回で詳述)に見舞われ、(略)ヨーロッパ共同体は、原野のあちこちに難民キャンプをつくった」。そこでは「学校を建てることが義務づけられていた」「学校では、トゥルカナ語と、伝統的な服装は禁じられていた。(略)子供たちは英語やスワヒリ語の歌を歌った。そして頭は早ばやと丸刈りにし、シャツや短ズボンやスカートを手に入れなければならなかった」(『自然の慈悲』243-244頁)。ちなみに、伊谷先生はかつて原野に散らばっていたトングウェの集落が、1972年に始まるタンザニアの集村計画(Kijiji cha ujamaa;同朋の村)によって消滅、集められた村で学校教育が始まるのを目撃していますが(『サル・ヒト・アフリカ』149頁)、トゥルカナにもまた文化変容の波が訪れます。
「こうしてトゥルカナの子供たちは3つのグループに分断された。第1は、すでに15歳前後に達し、どっぷりとトゥルカナ文化の中につかってしまい、いまさら何が学校だというグループである。第2は、学校の生徒になることがきまっている子供たちのグループである。そして第3は、学校にゆく子供たちとほぼ同年齢でありながら、放牧や家事、それから経済的な理由などで、学校にゆくお許しのでていない子供たちである。彼らは暗かった。そして、事あるごとにすねたり泣いたりするのが目についた」。「私は、この3様の子供たちを見て、トゥルカナはついに変わる、ついに彼らが変わるべき時が来たのだという確信をもったのだ」(『自然の慈悲』245頁)
(以下、次号)
編集・執筆:太田至・高畑由起夫
2026/2/8
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