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趣旨・概要 |
研究の概要
現代の人類社会が抱える最も根源的な問題である資源をめぐる葛藤とその解決法を、霊長類学、生態人類学、先史人類学の3つの異なる学問分野から研究し、その進化史的背景と人類独自の特徴の解明を目指している。これまでにヒト科霊長類の分化は生態資源と社会資源をめぐる葛藤解決法の違いにあり、それが所有と分配に関わる社会性に影響していることが判明している。
キーワード:霊長類学、生態人類学、先史人類学、資源利用、葛藤、闘争回避、進化
1.研究開始当初の背景
人類の生態資源と社会資源をめぐる葛藤の進化史的背景の解釈にはこれまで大きな誤解があった。それが、現代の人間社会の資源をめぐる闘争回避を困難にしている原因となっている。霊長類学、生態人類学、先史人類学はそれぞれの分野でこの問題を論じてきたが、まだこの誤解を解いて新たな仮説を提案するまでにはいたっていない。そこで、
本研究では調査方法や用語を統一し、これまで蓄積してきた資料を見直し、新たに独自の調査を共同して展開することによって、これまでの仮説に代わる新しい説を検討し、現代の課題に有効な考えを提案することを目指している。
2.研究の目的
本研究は、霊長類学、生態人類学、先史人類学の知見と方法論を用いて、人間の生物学的、文化的適応の歴史を再構築し、資源をめぐる葛藤と闘争回避の方法に関わる現代の問題に新たな視点を加えて問い直す目的を持つ。主たる調査地は人類発祥の地アフリカ大陸とし、ヒト科以外の霊長類、ヒト科類人猿、ヒトの資源をめぐる葛藤の性質や程度を調べ、それぞれの分類群がもつ社会生態学的特徴との関連を分析する。それを学際的、総合的に検討し、人類に独自な特徴とそれを生み出した進化史的、文化的背景を特定し、科学的な根拠に基づく問題の解決策を提案し議論する。
3.研究の方法
これまで代表者と分担者が霊長類学、生態人類学、先史人類学の3つの異なる学問分野において実施してきた調査を継続しつつ、共通な手法を用いて学際的な研究を実施する。主な調査地は人類発祥の地アフリカ大陸とし、ヒト科以外の霊長類についてはニホンザルを対象にして調査を行う。タンザニアのマハレ国立公園、ウガンダのカリンズ保護区でチンパンジー、コンゴ民主共和国のカフジ・ビエガ国立公園、ガボンのムカラナ国立公園ではゴリラとチンパンジー、カメルーン東南部では狩猟採集民、エチオピア南西部では農耕民、ケニア北部では化石霊長類の調査を行う。資源を生態資源と社会資源に分け、生態資源の調査は気候や植物のフェノロジーをモニターしながら進め、GPSを用いて資源の認知と利用法を、糞からホルモンを採取して生理状態やストレスを測定する。社会資源、とくに性をめぐる葛藤は直接観察と聞き込みによって得た具体例を詳細に比較検討する。また、糞からDNAを採集し父性判定や遺伝的多様性の分析から集団構造や繁殖構造について解析を行う。霊長類化石の分析は歯の咬耗や安定同位体を用いて行い、生態資源をめぐる種間、種内の葛藤と生活史パラメータとの関係を検討する。これらの調査結果を学際的に議論し、新たな仮説をまとめる。
4.これまでの成果
ケニアの北部で発掘したオナガザル上科とヒト上科化石の歯の咬耗状態の分析によって、類人猿の祖先とオナガザル上科霊長類がともに森林環境に生息し、ニッチをめぐる強い競合を経験したことが示唆された。これは、オナガザル上科が乾燥域で進化したというこれまでの説を覆す発見である。中央アフリカの熱帯雨林に生息するゴリラとチンパンジーの調査からは、両種が主要食物ではなく補助食物の種類と採食様式を分化させることによって、互いに異なる身体能力や社会生態学的特徴を発達させたことが明らかになった。これは、ゴリラとチンパンジーの同所性と生態資源をめぐる葛藤が土地利用や社会性の違いを生み出した進化史的背景を強く示唆している。 ニホンザルの調査では、金華山と屋久島の間に性交渉に関わる行動に顕著な差異が検出され、これまで生態学的要因では解釈できなかった、オスの群れへの定着様式やオス間関係の地域差が、オス間の性的競合の強さに基づく繁殖戦略の違いを反映していることが示唆された。社会的資源、とくに性的パートナーをめぐる葛藤はゴリラとチンパンジーの社会に変異をもたらす。本研究はゴリラの子殺し行動を地域個体群の構造やメスの移動、生活史パラメータと関連付けて分析することにより、子殺しがメスの特定のオスとの連合関係を強めて繁殖を早める効果を持ち、社会構造を変化させていることを明らかにした。チンパンジーの調査では、性的葛藤が同性間、異性間の社会関係の形成に及ぼす影響を調べ、性交渉の頻度や交尾相手の選択、毛づくろいや挨拶行動に顕著な地域差のあることが判明した。メスの多数回交尾はオス間の競合を減じ、メス間の宥和行動はオスと違って優劣順位に基づかない関係構築に貢献していることが示唆された。 類人猿の生態資源、社会資源をめぐる葛藤とその解決法は集団編成やその集まり方、遊動様式に反映されている。本研究はこれらの特徴がゴリラとチンパンジーの間で大きく異なっていることを明らかにしたが、狩猟採集民と農耕民の調査で、人類が独特の葛藤とその解決法を示していることも明確になった。狩猟採集民は土地を所有や譲渡の対象と見なすことせず、広い範囲を繰り返し利用することによって食用植物の密度と量を高めている。徹底的な食物の分配が生態資源をめぐる葛藤を減じ、権威を集中させない平等志向が社会資源をめぐる葛藤を防いでいる。本研究はGPSを用いて狩猟採集民の移動様式を追跡することでその特徴を明らかにした。農耕民は土地をめぐる葛藤を社会を動かす力として利用し、所有と分配を通じてさまざまな社会関係を生み出している。その実態を会話分析やコミュニケーションの方法を検討する中で明らかにした。
5.今後の計画
これまで数度にわたる共同研究会やシンポジウムによって、霊長類学、生態人類学、先史人類学の方法論や概念の統一を図り、ヒト以外の霊長類とヒトの進化史をつないで議論することができるようになった。今後はこれまで各学問分野で行ってきた調査を継続しつつ、共通のフォーマットで資料を分析し、資源をめぐる葛藤とその解決法について議論を深めていく。そのためには、GPSを用いた土地利用法の分析と、安定同位体を用いた食性と植生の関係、糞から得られるホルモンやDNAを用いた葛藤の質や程度、繁殖様式の解明を急ぐ必要がある。分析に必要な試料はすでに収集しており、さらに試料を増やして種間、種内の変異について検討し、これまでの仮説に代わる新しい説を提案しようと考えている。
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