伊谷純一郎

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1958年4月
撮影者 伊谷
場所 ルヴェロ、I.R.S.A.C.
I.R.S.A.C. ベルギー領コンゴ。キヴ湖西のルヴィロにある中央アフリカ科学研究所(I.R.S.A.C.)にて。その研究員と今西先生。

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1958年4月
撮影者 伊谷
場所 ルヴェロ、コンゴ
ベルギー領Congoの研究所。Kivu湖の西にあるI.R.S.A.C.(中央アフリカ科学研究所)のベルギー人の植物分類学者。
今西先生は、ルーウェンゾリその他で集めてきたいくつかの標本の学名をその人に聞いていた。

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1958年4月
撮影者 伊谷
場所 Stanley ville
日本モンキーセンター第一次アフリカ大型類人猿学術調査の折、Stanley ville (Kisangani)のVirus Research Institute を訪ねる。
霊長類研究所の施設としては、この研究所はYerkes Laboratoryや、ソ聯のスフミと並んで大変早いものと考えてもよい。右はし、今西先生

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1958年4月
撮影者 伊谷純一郎
場所 Virus研究所Stanley ville 郊外
Stanley ville (今のKinsangani)
コンゴ(ザイール)のスタンレーヴィルCongo(今のキサンガニ)にあったウィルス研究所にて。右はオストリッチ博士 オストリッチ(ベルギーの医者)
Dr. Ostrrich (右)
今西先生(左)
当時、ベルギーはすでにKisangani郊外の森林の中に広大な類人猿飼育室と研究所をもち、Pan troglodytes と P. paniscus を飼育していた。
死亡したP. paniscusの骨はアントワープ大学のVan de Block博士のところに送られることになっていた。