人類進化論研究室の沿革


旧人類別館

旧人類別館

 人類進化論研究室の前身は1962年に京都大学理学部に設立された自然人類学講座です。
 よく知られているように、日本の霊長類学は今西錦司と川村俊蔵、伊谷純一郎の三名が宮崎県の幸島を訪れた1948年に誕生しました。今西らはそれから10年後にはアフリカに進出し、1961年からタンザニアでの本格的な類人猿調査隊を開始しています。自然人類学講座は、まさしくそういった時代に誕生したのです。当時日本の大学で理学部に人類学の講座があったのは東京大学だけでしたが、京都大学にできたこの講座は、生きたサル・類人猿の生態や社会も研究するという意味では日本初のものでした。自然人類学講座が設立された当時の教授は今西(人文研と併任)、助教授が池田次郎と伊谷、助手が杉山幸丸と葉山杉夫でした。

 1981年には、自然人類学研究室から別れる形で人類進化論研究室が設立されました。いずれもヒトを含めた霊長類の研究をおこなっていますが、前者では骨や歯などの形質の研究がおこなわれ、後者では行動や社会・生態の研究がおこなわれることになりました。長年自然人類学講座で助教授を務めた伊谷が人類進化論研究室の初代の教授となります。
 その後伊谷がアフリカセンターを設立し、そのセンター長となったため、後任として西田利貞が教授に着任しました。西田が停年退職した後は山極壽一が、山極が京大総長となった後は中川尚史が教授を務め、現在に至ります。

 前身である自然人類学講座時代と合わせると、この研究室は、日本で霊長類学が誕生し展開していく流れの中で常に中心的な役割を果たしてきた研究室であると言えます。また、伊谷は1970年代以降は生態人類学を推進していたため、多くの生態人類学者を輩出した研究室でもあります。

人類進化論研究室関連年表

1948 今西錦司・川村俊蔵・伊谷純一郎、ニホンザル研究開始(日本霊長類学の開始)(12月3日).今西、京大・理の講師に.

1951 霊長類研究グループの結成(6月).

1956 財団法人日本モンキーセンター(JMC)設立(10月17日).

1958 今西と伊谷、アフリカへ(JMC第1次ゴリラ学術調査隊:2月出発).

1961 第1次京都大学アフリカ類人猿学術調査隊(9月出発).

1962 カボゴ基地完成(1月28日). 京大・理に自然人類学講座設立注1).今西、初代教授に

1963 伊沢紘生・加納隆至・西田利貞が自然人類学研究室の初代院生に.

1964 今西、類人猿研究から離れる. 日本アフリカ学会設立.

1965 今西、退官. 西田、マハレでの調査開始(10月11日).

1966 池田、自然人類の教授に.

1967 霊長類研究所設立.

1969 西田、東大へ. 伊谷、霊長類のフィールド調査から離れる.

1970 原子令三、自然人類の助手に.

1973 生態人類研究会(1996から学会)設立.

1978 市川光雄、自然人類の助手に(〜1986:1981以降は人類進化論の助手?).

1981 京大・理学部に人類進化論講座設立注2). 伊谷、初代教授に(7月).

1985 日本霊長類学会設立.

1986 高畑由起夫、人類進化論の助手に(〜1991). 伊谷、アフリカセンター長に.

1988 西田、人類進化論の第2代教授に(〜2004).

1990 伊谷、京大退官(3月).

1991 高畑、専任講師に(〜1992).

1992 今西、逝去(6月:享年90).

1994 五百部裕、人類進化論の助手に(〜2000).人類別館から理学2号館へ.

1995 理学研究科生物科学専攻の人類学講座に移行(注3)(人類進化論は分科に)

1996 西田、国際霊長類学会会長に.

1998 山極壽一、人類進化論の助教授に(1月)(〜2014).

2000 鈴木滋、人類進化論の助手に(〜2003).

2001 伊谷 逝去(8月19日:享年75).

2002 山極 第3代教授に(7月)(〜2014)

2004 中村美知夫 人類進化論助手に(7月)(〜2008). 中川尚史 同助教授に(11月)(〜2015).(それぞれ2007年に助教・准教授に名称変更)

2008 井上英治、人類進化論助教に(〜2015). 山極、国際霊長類学会会長に.

2011 西田、逝去(6月7日:享年70).

2014 山極、京大総長に(10月)(〜2020).

2015 中川、第4代教授に(8月).

2016 中村、准教授に(6月).

2022 田村大也、人類進化論助教に(11月).


注1:1962.3.31省11(『京都大学百二十五年史 : 資料編』による)
注2:1981.4.1省17(同上)
注3:1995.3.30省10(同上)