趣意書 伊谷純一郎生誕百年記念事業
拝啓
皆様にはご清祥のこととお喜び申し上げます。
2026年には、伊谷純一郎先生の生誕百年を迎えます。先生は、終戦直後の1948年から恩師の今西錦司先生とともに、野生ニホンザルを皮切りにアフリカの類人猿研究に邁進され、霊長類学の発展に大きく寄与されました。また、狩猟採集民や焼畑農耕民、牧畜民など、自然につよく依存して生きる人々の生態と社会を明らかにする生態人類学を開拓され、アフリカ地域研究の推進にも貢献されました。先生のこうしたお仕事と思索の歩みを振り返り、これら諸学のさらなる発展を願って、ここに記念事業を企画いたしました。
1926年5月9日、伊谷先生は伊谷賢蔵画伯とご母堂ちよ様の長男として生を受け、京都洛北の地で育たれました。幼少時より「自然児」として清流での魚つかみや昆虫採集、野鳥観察、山歩きなどに没頭されましたが、青春のさなかには戦争というもっとも暗い時代が訪れます。
1948年4月、敗戦後の大混乱もようやく収まり始め、先生は京都大学理学部動物学科に入学され、生涯の師となる今西錦司先生と出会います。そして、今西先生が宮崎県都井岬で実施された半野生馬の調査に同行し、ある日の夕暮れに、眼前の尾根を妖精のごとく嬉々として渡ってゆくニホンザルの一群を目撃されました。これがニホンザルの調査に専念するきっかけでした。1954年には『高崎山のサル』が出版され、翌年に毎日出版文化賞を受賞されています。
伊谷先生は1956年、愛知県犬山に創設された日本モンキーセンターの研究員に着任され、1958年には今西先生とともに「第一次ゴリラ学術調査隊」としてウガンダやカメルーンで予察をおこなわれました。この旅の後半にはC・R・カーペンターやS・ウオッシュバーンなど、世界的に活躍していた霊長類学者やその研究施設を訪問し、野生霊長類研究の協力体制を築かれました。
1960年に伊谷先生は、単独でウガンダとタンザニアにおいてゴリラとチンパンジーの調査に挑まれました。そのときの歓びや絶望、波乱とスリルに満ちた日々を描いた『ゴリラとピグミーの森』は、アフリカの自然と人を研究する者にとってのバイブルとなりました。
1962年には京都大学理学部・自然人類学講座の助教授に就任され、タンガニーカ湖畔のチンパンジーを主たる対象として6次にわたる「京都大学アフリカ類人猿学術調査」を指揮されました。困難な日々の果てに1966年、とうとう弟子の西田利貞氏がチンバンジーの餌付けに成功します。そして近距離からの観察が可能になり、ここから研究が一気に進展しました。
1970年代に入ると伊谷先生は、チンパンジー調査の主役を西田氏らに委ね、みずからはアフリカの多様な自然環境で生活する人々を対象とした生態人類学の研究に軸足を移されます。1973年には原子令三氏とコンゴ民主共和国のイトゥリの森のムブティ・ピグミーの調査をされ、1976年からは田中二郎氏らとともに、ケニア北部の牧畜民社会の研究に着手されました。そして国内では、学部生や大学院生とともに沖縄諸島などで、人々の暮らしに密着したフィールドワークを推進されました。
1981年に伊谷先生は、京都大学理学部・人類進化論講座の教授に就任され、1984年には「霊長類の社会構造の進化」に関する研究の功績により、日本人として初めてトーマス・ハックスリー記念メダルを授与され、記念講演をなされました。翌年にはタンザニアのマハレ山塊が国立公園として認定され、念願だった野生チンパンジーのサンクチュアリが実現しました。
1986年には、京都大学アフリカ地域研究センターのセンター長に就任されます。その翌年、コンゴ民主共和国でピグミーチンパンジーを調査中に病に倒れられ、生死の境をさまよわれましたが、間一髪のところで救出され、帰国なされました。
1990年に伊谷先生は京都大学を定年退職され、神戸学院大学人文学部教授に就任されます。そして学生とともに、毎年、兵庫県船越山での野生ニホンザルの観察や、沖縄各地での調査実習を楽しまれました。1994年4月には同大学院人間文化学研究科の初代研究科長に就かれています。
1996年からは、放送大学特別講義「HUMAN〜人間その起源を探る」の収録のためにアフリカ各地と南米を歩かれました。1992年には紫綬褒章、1997年には勲三等瑞宝章を授与されました。また、1997〜98年には台湾で民族動物学に関する調査も実施されています。
伊谷先生は1999年春、神戸学院大学を退職されました。そして同年暮れ、同大学人文学部の十周年記念式典において「人類発祥の地を問う」という題でアフリカ大陸全体の植生分布を示し、それと動植物や人間の生活との関わりについて記念講演をされました。その直後から長い闘病生活に入られました。
しかしながら先生は、病床においてもアフリカの自然と人の暮らしについての考察を続けられ、2001年1月に京都で実施された日本アフリカ学会関西支部例会では、車椅子を使いながらも『アフリカの植生を考える』と題して長時間、熱のこもったお話をされました。それが最後の講演となり、同年8月19日にご逝去されました。行年、75歳でした。
サルとは、ヒトとは、そして自然とは何かを問い続けた生涯でした。「ヒトが中心にあってそれを自然がとり巻いているのではなく、あくまで自然が中心であって、ヒトと交差する世界はその辺縁にある」(『サル・ヒト・アフリカ―私の履歴書―』)との主張は、現代人の横暴によって地球規模の環境危機を迎えつつある今、痛切なメッセージとして私たちの心に刺さります。
伊谷先生の生誕百年記念事業は、下記のように実施いたします。みなさまのご協力を切にお願いいたします。
敬具
2025年9月1日
伊谷純一郎生誕百年記念事業・組織委員会
記
一、 シンポジウム「霊長類学と生態人類学、アフリカ地域研究の創成と展開」(仮題)
日時:2026年12月5日(予定)
場所:京都大学稲盛記念館三階大講義室
二、 企画展「伊谷純一郎―人と学問―」(仮題)
期間:2026年11月4日〜2026年12月27日(予定)
場所:京都大学総合博物館