第1回「試行と模索の日々」(右は幸島群のαオスのカミナリ)
初回は、1948年11月の都井岬でのサルとの出会いから、「サルなど研究すべきではない」との周囲の声を振り切り、未知の世界に乗り出す頃のノート類です。まず、現在残されている最初のノートから、1950年6月9日(餌付け前の)高崎山での観察です。のちに「難しいとは思ったが確かな手ごたえを感じた」が、「一度見失ったら最後、そのあとの苦労は、まったくお話にならないほどだった」
一方で、フィールドを探して試行錯誤が繰り返されます。当時の調査記録カードから復元したのが、下の図です(1948〜55年の調査地)。
例えば、1952年6月〜7月には川村俊蔵先生と、幸島から屋久島を廻って「彌次喜多道中記」と題したノートを残しています。以下は、見開き8ページ分、川村さんが大淀川でカメラのフィルターを落とし、幸島では魚を覗いていると、サルが現れ(6月に餌付けが進み、8月に完了)、小舟(伝馬)を漕ぎ、屋久島の森林鉄道で苦手な犬に咆えられます。
「大淀川のわたし[渡し]、フィルター落とした(川村)」
「恋も恋しと■■(解読不可)を呼ぶよ・・・やぶれサルマタむなしくもわすれたるものかな・・・(川村)」
「コドマリ(小泊) 魚をのぞいている間に、サルは通りすぎた」
「ワー 舟がかえる(返る)ぞ そら、こら、押せ、押さんか!」
「モッチョム岳(屋久島)」「沿道の人はみなおじぎ」「猛犬トロッコを追う!」
そうかと思えば、同年10月は単独で下北等の東北を廻り、10月13日に新潟県三面(みおもて)でマタギの方々に、狩りについて聞き込みます(初の生態人類学的調査かもしれません)。
こうした試行と模索の日々は、幸島での餌付け成功で一気に様相が変わります。
(以下、次号、乞うご期待)
編集・執筆:高畑由起夫
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