第12回 「カボゴと京都大学アフリカ類人猿調査隊（KUAPE）」前半
「1961年、今西先生は文部省の科研費を得て、京都大学アフリカ類人猿調査隊（KUAPE）を組織された。タンガニイカ湖東岸に向けて、大量の資材が運ばれ、私たちはキゴマの南方、カボゴ岬を回った無人のムクユの浜に基地を建設しながら、毎日チンパンジーを追った」（『サル・ヒト・アフリカ』62-63頁）
カボゴの景観
しかし、カボゴへの道のりは安穏としたものではありませんでした。KUAPE隊が最初に目指したのは実はゴンベ・ストリーム、前年、グドールを訪ねた地です（第11回）。その経緯を伊谷先生は「彼女（グドール）はその時、翌年の春（1961年春）にはここを引き上げるといっていた。私は（略）いくつかの生息地を比較検討し、結局ゴンベ・ストリームに白羽の矢を立てた。私にとっては、森林にすむチンパンジーよりも、開けた疎開林に適応しているチンパンジーの方がはるかに魅力的＊だったのだ」「（1960年の調査の終わりに）私は委任統治政府の猟政局を訪ねた。（略）（キンロック）少佐は快く翌年のゴンベ・ストリームでの調査の許可と、調査にともなう便宜の供与を約束してくれた」と説明しています（「チンパンジー記序説」37〜38頁）。＊：森林で進化しながら、オープンランドに進出したであろう初期化石人類をイメージした判断です。
幸い1961年は科研費のほか、企業からの支援も受け、「かつての地理学的探検時代の手法が適用され、私たちはタンガニイカ湖畔に壮大な夢を描きながら、まさに果てしない雑務の山をきりくずしていった」。その結果、「トヨタのランドクルーザー＊が２台、セキスイハウスと大和ハウスの建材各一式から、食糧、調査器具、鉛筆何本に至るまでの20数トンに及ぶ品目」が持ち込まれました（同38〜40頁）。＊：ランクルやプレハブハウスはいずれも当時の最先端商品でした。
建築中のプレハブハウスと、完成後の内部、及びランドクルーザー
その通関等の作業メモの一部が、1961日10月22日付けのノートに残されています（下図のノートの８頁；もっとも、この赤字の文章は、送り先がカボゴ岬に決まってから、追加で書き込まれた可能性があります。経緯の仔細は下に続きます）。
しかし、先陣を切ってナイロビ到着翌日の23日、コリンドン博物館にリーキー博士を訪ねると、動物学者のフリートウッド氏から博士はオルドヴァイに行って不在、ミス・グドールは一度帰ったまま、（ナイロビに）帰ってこない。チンパンジーに恋しているようだという「意外な」答えにとまどいます（上右の22頁）。グドールが調査を延長するならば、KUAPE隊は宙に浮いてしまう。ホテルに戻ってから「疲れひどく、のど痛し」、そして「トニカク明朝ＤＲＳ（ダレスサラーム）にゆく。トニカクゆく」との書き込みが残ります。
24日朝、空路、タンガニイカのダレスサラームへ。猟政局でキンロック少佐の後任メンス氏に相談すると、グドールの調査が終わりさえすれば、ゴンベに入ることに問題はないが、リーキー博士と相談してもらう必要がある。数日後、現地調査の経験があるトーマス氏が帰ってくるので、（ゴンベ以外の）キゴマ南部の情報を得られるだろうと告げられます。６頁に及ぶ詳細なメモが残されますが、冒頭からカボゴとマハレに言及しています（下の28〜29頁）。猟政局としては、ゴンベでの調査をいったん許可した責任上、他地域を薦めようとして、丁寧な説明に心掛けたのかもしれません。
左：赤い点線で囲んだ部分「（メンス氏）Kabogo headについて、population of chimpについては知らぬ。Thomasの方がよく知っているであろう。Mahariには（チンパンジーが）沢山いる。Lot of chimps in Mahari Mts.」。右：「（自動車道路からは）歩いてゆく以外に方法がない。American Expeditionが入った。Mpandaより２日の行程。spoor（足跡）が残っていよう。（木を伐りながら）（雨季が近いが、ここ２週間なら大丈夫）（１月にももう一度乾く）」。マハレの最高峰Kungwe（Nkungwe）の名も左下隅に登場します。
メモの末尾には「最大の問題点は、�．函璽泪垢慮世辰�Kabogoのchimpが多いというinformation sauceの問題だ。�∈Ｆ�は**（解読不能）なかったが、Miss Goodallの（調査）期間についてのinformationだ」と記されています。翌25日は通関関係で忙殺されますが、その日のノートの最後は「明日が勝負だ」とあります。
26日には現地を知るトーマス氏との相談に臨みますが、左下の42頁はその冒頭部分でKabogoの気候や植生等の説明が続きます。そして、説明の最後のあたりで「カボゴからウビンザにかけての相当な範囲をチンパンジーの保護区にしては、というアンステー氏の意見を検討中である」と告げられます（これがカボゴを選らぶ理由の一つになったかもしれません）。
左（トーマス氏の説明）「海岸から急に上がっている。Very steep indeed＊。蚊がものすごく多いかもしれない。海岸までforestが迫っているのと、ギャラリーforest（河辺林）がthick＊な点を除いては、Gombe streamとあまりvegetationは変わらない」。右が今西宛電報。＊：のちに、地形が険しく、かつ河辺林周辺のやぶが密生して観察に不向きであるという２点が、基地放棄の理由とされます。
相談が終わると、今西宛に電報を送ります（右上、47頁）。「Thomasに会った。Goodall（の調査が）何時済むか、不明。済めばGombeに入ってよい。リーキーに明日会いに行く（オルドヴァイの発掘現場まで行こうとします）。（隊の荷物の）通関は準備進行中。雨季迫る。すべて先を急ぐ」
翌27日はアルーシャに飛行機で飛び、ランドローヴァーを借りてオルドヴァィに博士を訪ねようとしますが、これは結局、豪雨等で断念します。その日の午後はパトリック・ヘミングウェイ氏を訪ね、車の手配等を相談し、28日はオルデアニでティンディガ（スワヒリ語による他称で、自称はハッザ）のキャンプを訪れ、ノート１冊分の詳細なメモを残しています（下図参照）。エヤシ湖で調査予定の人類班のための予察ですが、雑誌「モンキー」50号に寄せた「アフリカだより」では、「ブッシュの奥の奥に、ひそかにつましく弓と矢、しかも強力な毒矢のみを唯一のかて（糧）のもとで（元手）として生き続ける人々、平和と自然が全てであるような人々の顔は、あの荒れ果てたサバンナのど真ん中での唯一のオアシスであるのかもしれない。自分の手でこの人々の生活を明らかにしえないのがいかにもつらい」という心境を吐露しています。
左「（じっとquail?（ウズラ？）を見ながら）しげみの外にゆく。外にいっても、bushを背に、bushからは一歩もでず、bushにぴったりとカベのようにつき、そしてその矢をふりしぼり、腰をひねって、腰を浮かすようにして、放った。一瞬、ほんのわずかずれて、矢は鳥のかたわらにおち、鳥はとびたつ。彼はにっこり笑って」。中央「（タバコの火をおこす様が）pygmyのやつと全く同じやり方だ。ただ、たての木が長いのと、たての木は堅く横の木がやわらかいという工夫があるだけがちがいである。やがて、下の木にうがたれた穴に木の粉がたまり、それに赤いほのかな火がつき、けむりがあがる。かれは、それにタバコの火をつける。オヤジがhutの中から、pipeを持ってきた。15cmほどのやわらかい石で作ったもの。中をくり抜いている先にたばこをつめる」。左「タバコだか、草の葉っぱだかわからぬやつだ。そして、やたらにむせながら吸うのだ。ゴボゴボいって、唾をはき、若い方にまわす。若い方がまた同じことをくりかえす。かれらはknifeをもっている。Mr. KiellandがMangatiから手に入れたものだろう＊という。NDID。鉄くずを尖らせたようなナイフだ。Mangatiというのは、南の方の（tribeである）」＊：富川盛道隊員によれば、ハチミツの交易で結びついていたとのこと（「II Tindiga族とMangati族(京都大学アフリカ学術調査中間報告)」『民族学研究』31(1):62-64、1966）。なお、Mangatiもスワヒリ語による他称で、現在は“ダトーガ”と呼ばれています。
その後、戻ったナイロビでリーキーに会えますが、彼は「言下に、私たちのゴンベ・ストリームでの調査を拒否し、私たちはいよいよ決定的にキゴマ南方の未知の土地に調査地を求めなければならなかった」（「チンパンジー記序説」41頁）。こうしてカボゴ行きが決定します。
なお、上で触れた「アフリカだより」では、カボゴへ向かう前の心境を「久しぶりにアフリカの雄大なふところの中で、青い空と白い雲を眺め感慨を新たにしています。空青く白雲流れ、人々は歌い、動物は群れそして食み、地球の自転を感じ、いにしえを思い、われ樹陰を求めず。（略）10日ダレス発、カボゴ（タンガニイカ湖畔）に予察に入ります。今度こそは何とかやれそう。４年いや10年近くの執念をなんとしても果たしてみたい。いま私にはアフリカしかない」と明かします。10年！ 都井岬でのサルの出会いから13年、高崎山で水原氏に語った時から７年の歳月が流れていました。
（以下、次号）
最後に、お読みいただいた方は色々お感じになるでしょう。調査地選定には色々な配慮・根回しが必要だとあらためて思うかもしれません。また、「過疎林でのチンパンジー」という人類進化を意識した調査を想定するよりも、『ゴリラとピグミーの森』で訪れたブドンゴのような、より一般的な棲息地での調査を設定した方がよかったのではと思う方もいらっしゃるかもしれません。なお、「チンパンジー記序説」は「もし最初にカボゴではなく（60年に予察済みの）ブドンゴを選んでいたら、これほどの苦労をすることはなかったであろう。私は、一度タンザニアに送りこんだ隊員を、途中で予定を変更してブドンゴに向けることを何度考えたかしれない。しかし、初志貫徹を旨として、ついにそれをしなかった」と揺れ動いた胸の内を回顧しています。
あるいは、この時、カボゴではなく、より遠いけれどチンパンジーの密度が高いというマハレを選んでいたら？ 昔、マハレで西田利貞さんと雑談中、「いやあ、あの時（KUAPE隊が）マハレに来ていたら、ここにプレハブの建物が建ち、何でも揃って、まったく違った研究スタイルになったよな」と笑っていらっしゃったのを想い出します。
編集・執筆：高畑由起夫
一覧へ戻る