解説:中川尚史・岡本暁子.ヴァン・シャイックの社会生態学モデル:積み重ねてきたものと積み残されてきたもの.霊長類研究,2003,19:243-264.
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(要旨) 本稿の英文サマリーを中川が和訳したものを以下にしるす。 van Schaikの社会生態学モデル (van Schaik, 1989)は、捕食圧と食物の分布様式が、雌が晒される採食競合を通じて、雌の集合性と社会関係を予測するモデルである。また、雌の群居性に依存して雄の分布も決定すると予測している。 このモデルは、その後、彼とその同僚たちによって、先の古典モデルでは説明できなかったいくつかの現象を説明するために、「生息地の飽和」と「子殺しの危険」を淘汰圧として新たに導入したモデルへ修正された (Sterck et al., 1997)。霊長類社会生態学の議論の主な焦点は、子殺しの危険に移って現在に至っている。 われわれは、van Schaikの古典モデルと修正モデルを支持する証拠をレビューするとともに、未解決の問題点を指摘する。1)修正モデルは、採食競合の型を決定する要因(すなわち、食物の分布)について十分言及していないため、古典モデルと統合されてはじめて社会生態学モデルとなりうる。2)修正モデルで取り上げられた4つの社会カテゴリー(Dispersal-Egalitarian, Resident-Nepotistic, Resident-Egalitarian and Resident-Nepotistic-Tolerant)のうち、RNTタイプを生み出す生態学的要因は妥当にはみえない。RNTは、a)高質で、かつすべての群れメンバーが収容できる大きなパッチがまれに存在するような食物と、b)高質で、かつすべての群れメンバーが収容できない小さなパッチで存在するような食物の両方に依存する霊長類でみられると予測できる。3)REとRNTにおいては、食物の分布様式と採食競合の間の関係も、採食競合と社会カテゴリーの型の関係も証明するに十分な証拠はまだない。4) スーティーマンガベイ (Cercocebus torquatus atys) は、修正モデルで新たに導入された「生息地の破壊」という要因を考慮してもなお説明できない、第5の社会カテゴリー (Female-Resident-Despotic)かもしれない。もしそうなら、FRDの生態学的要因が詳細に調べられるべきである。5) 修正モデルが予測したように、高い子殺しの危険が両性群形成の淘汰圧であるとの証拠は認められるが、DE種で分散する雌が子殺しに対する防衛能力の高い雄を選んでいるという証拠は乏しい。6) ほとんどのDE種では、群れ内の雌の数が多ければ侵入雄にとって魅力的となるので、雌の分散が子殺しの危険を減ずるようだ。しかし、反証もあるため結論を下すのは早い。その反証とは、群れ雌の数が多いほど雌同士が協同して子殺しを防ぐのに成功しやすいというものである。 (解説) 採食生態学を柱に研究を行ってきた私としては、食と社会をこれまでの社会生態学以上に明確に結びつけて予測したvan Schaikの社会生態学モデル (van Schaik, 1989)は、大変魅力的なものでした。しかしだからこそ、証拠が不十分なところや(上記3)、予測が不適切なところ(上記2)があるにも関わらず、モデルもその検証作業もどんどん先に進むことに大きな疑問を感じていました。また、先に進んだ部分、つまり「子殺しの危険は複数の雌が雄と群れ形成を促すか?」(上記5)、「子殺しの危険はDE群形成の主要な淘汰圧か?」(上記6)についての議論が盛んに行われています。以前、霊長類社会生態学の紹介文を執筆しましたが(中川、1999)、これらの点をいずれも盛り込むことができなかったことが、その後、ずっと引っかかっていたことが、本稿執筆の動機のひとつです。 もうひとつの動機は、これほど国際的に盛んに議論されているモデルであるのに、松村秀一さんや岡本暁子さん(Matsumura, 1998, 1999; Okamoto & Matsumura, 2002)などごく一部を除いて、国内ではほとんど議論の俎上にのぼらないことについての違和感からきています。このモデルに焦点を当てた和文総説を書けば、少しでも国内でも議論が盛り上がるのではないか、と考えたわけです。その意味で、本稿と同号に掲載された意見文(『霊長類研究』の存在意義と和文総説執筆の奨め)(中川、2003)の主張が説得力を持つかどうかは、本稿のできばえにかかっていることになります。 自己評価としては、おしむらくはあと2年早く出版できていたらと思いました。また、私の知識の偏りから、先に進んだ部分の問題点の指摘がじゅうぶんでない可能性がある点も不安材料です。さてみなさんの評価はいかに?
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