伊谷純一郎 フィールドノート

52−3 To^hoku
1952年には、8月に幸島で最初の餌づけが成功しました。餌付けの成功には、伊谷と徳田によるものでしたが、以後川村を加した3人で、連続観察をはじめました。その理由の一つは、「性交渉が全く見られないのは何故か」という問いに答えるためでした。群れの構造の概要は、9月頃には明らかになっていました。このノートは、その幸島での観察を縫うようにして、私が単独で東北地方の調査に出かけたときのものです。スポンサーは渋沢敬三先生で、まず下北半島にゆき、そこから八甲田、三面、朝日と南下し、京都には数日寄っただけで幸島に戻り、観察を続けましたが、交尾期は始まっていませんでした。
 このノートは、東北の3冊目で、1952年10月13,14日の2日間の聞き込みです。場所は三面で、マタギからの、サル、クマ、アオシシ(カモシカ)のものです。民俗学的に価値のあるもの含んでおり、1994年になって、大形のノートに転写しています。


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