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解説:中川尚史.霊長類における集団の機能と進化史-地理的分散の性差に着目して.河合香吏編『集団ー人類社会の進化』,p.57-87, 2009, 京都大学学術出版会,京都.
(背景)
本稿が収められた書は、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の河合香吏さんが企画された東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・共同研究プロジェクト『人類社会の進化史的基盤研究(1)』の成果論文集である。本企画は、私が現在所属する京都大学人類進化論研究室のOGである河合さんが在学当時は、霊長類学者<サル屋>と生態人類学者<ヒト屋>が混在する研究室にあって、人類の進化について熱く議論していたにも関わらず、現在失われている現状に対する憂いに由来している。そこでこうした現状を打破すべく、彼女は霊長類学者(黒田末寿、早木仁成、足立薫、伊藤詞子、中川尚史)や生態人類学者(北村光二、寺嶋秀明、河合香吏、曽我亨、梅崎昌裕)のみならず、なんと文化人類学者(内堀基光、船曳建夫、田中雅一、杉山祐子、大村敬一、西井涼子、床呂郁哉、椎野若菜)、さらには社会哲学者(今村仁司)までを巻き込んで、集団の進化について議論した実に大胆な試みに打って出た。
この研究会における私が最低限果たさなくてはいけない役割として、霊長類の集団(群れ)の機能論とも呼ぶべき社会生態学モデルについて紹介することと理解し研究会に臨んだ。そして、その役割を果たすべく、「霊長類における『集団』の機能と集団間関係」、「霊長類における社会構造と行動の種内変異:遺伝的変異をともなうか否か」と題する発表を行った。しかし、本書の執筆の段になって、霊長類の集団の進化を考えるうえで、適応論としての機能論だけでは片手落ちであり、そのことは河合さんが師事した伊谷純一郎が強調した系統的慣性を無視することになるため、当然のことではあるがそのいずれもが重要であることを伝えるとともに、できれば最新の成果を取り込んで私なりの新しい人類社会進化論を展開できればと知恵を絞って完成したのが本稿である。ただし、本稿にも素地があり、それは2004年の日本霊長類学会で山越言さん(京都大学・アジアアフリカ地域研究科)と一緒に企画した自由集会『霊長類の社会構造論再訪』での発表「霊長類における社会進化~最近の理論の概要~」である。この発表で紹介した新世界ザルの社会進化論において、雌雄のうちどちらの性が遠くまで分散するのか(地理的分散の性差)が焦点に据えられていたことを思い出し、そして最近遺伝子を用いた解析においてそのことがさかんに取り上げられていることに着目して、本稿が誕生した。
(内容と自己評価)
本稿は、以下の5節からが構成されている。第1節の「はじめに」では、系統的慣性を重視した伊谷純一郎の「霊長類社会構造の進化説」を足立薫による第1章にその詳細は委ねながら、紹介している。第2節では、そのタイトル通り、霊長類の「社会構造の類型化」を紹介し、第3節では、伊谷の仮説で欠落していた社会構造の進化を推し進める淘汰圧に関する欧米由来の社会生態学により、こうした類型がどのように説明されているかについて紹介している。ここまでは、単なる紹介であり、先の言葉を借りれば自分自身に課した最低限の役割をこなしただけの文章に過ぎない。私独自の視点が入ってくるのは、第4節以降であり、この節「地理的分散の視点から父系社会の進化史を考える」では、近年の研究の進展により明らかになりつつある地理的分散の性差に着目し、特に父系社会の形成に焦点を当てて、改めて系統的慣性の重要性を指摘している。ここで得られた結論は大きく2つ。ひとつめは、霊長類の祖型はあくまで雄が雌より遠くまで分散する雄偏向分散なのだが,真猿類の祖型の段階で雌偏向分散となった可能性が50%あり,その後は少なくとも類人猿の祖型までは引き継がれたとみなせることになること。ふたつめは、雌偏向分散のみならず単雄単雌という社会構造も、真猿類の祖型から類人猿の祖型までは引き継がれたと考えられることである。そして最終節となる第5節「まとめに代えて:初期人類の社会構造に関する新仮説」では、真猿類の祖型から類人猿の祖型まで連綿と受け継がれてきた雌偏向分散,単雄単雌,一夫一妻,雄による育児,縄張り性という一連の社会形質を,初期人類も受け継いでいたとする新仮説を提唱した。最後は提唱しっぱなしの感は否めないし、父系社会の霊長類をまじめに観察したことさえない私がここまで書いていいのかという思いもなくはないが、新しい視点と、あとはロジックだけで、われながらなかなか独創的な論考に仕上がったと満足している。