第25回 「西田資料にあった伊谷先生からの手紙」

 本記念事業で共催した「霊長類学史研究会」(2026年1月11日開催)での発表準備のため、西田利貞先生(第4回の研究者系譜図や第1522回を参照)の1965年頃のフィールドノートを調べていたところ、予備調査に出た伊谷先生から、カサカティ基地で留守番をしていた加納先生・西田先生に宛てた当時の手紙が出てきました。

西田先生の1965年のフィールドノートに挟まれていた伊谷先生からの手紙

 フィールドノートを切り取った2枚の紙の両面に書かれたもので、内容から推察するに、フィラバンガからポーターを何名かカサカティ基地へ戻した際に持たせたもののようです。有名なフィラバンガでの43頭の行列の観察(第16回参照)の翌日に書かれたもので、その際の伊谷先生の新鮮な感想も記されています。

 資料の時代としては少し遡りますが、せっかくですので全文をここで展示しておきましょう。実物のスキャン画像の下に書き起こしがあります。



①元気で活躍のことと思います。ここも一同元気。本日まで、行程等にてまどり、また、ボロムゼーも帰途に自信がなかったりしたので、のばしましたが、食料のこともあり、とにかく三人帰します。
ケベロは、私が帰るまで、キャンプで働かせておいて下さい。ムサは

②イラガラに返して下さい。予定日が九月四日のまま。
ボロ・ムゼーに、くれぐれも、たのんでいます。何かにと〔?〕相だんの相手にして下さい。
当方、何とも、おどろくべきところに来ています。そのため予定より人頭(口数)をへらし、できるだけ、ここにがんばりたいと思います。
会合の問題と、重要な関係があるので、

③数日おくれるかもしれません。あと四日は、この無名の土地で、仕事をし、トンバトンバとマサングウェは予定通り、四人で歩きます。
昨日は、四三匹の行列を完全におさえ、そのご、三時間にわたるエンカウンターをえ〔?〕ましたが、チンプが全く人間を知らず、見に来て帰らないのです。詳細はいずれ。

④非常に広いところなので、せいぜい地形たんさくをやって帰るつもりです。
見ごとなコイが、沢山つれ、副食にはこと欠きません。刺身はかくべつです。
ではお元気で。
帰着おそらく12日。
鈴木よりよろしくとのこと。ともに元気です。

伊谷
西田 加納 様
1965. Sept 4th

 少しだけ解説をしておきましょう。

 手紙の中には「フィラバンガ」という地名は出てきていませんが、末尾にある日付と、前日に43頭の観察をしていることから、フィラバンガで書かれたものでまず間違いないでしょう。第17回にある「陸軍」の調査です。当時基地のあったカサカティからフィラバンガまでは、食料などをポーターに運搬してもらわねばなりませんでしたが、そのうちの何名かを帰して人数を減らし、できるだけ長期間滞在したいといったことを連絡するための手紙かと思われます。

 ②の最後に「会合」とありますが、これは第17回で書かれている1965年9月14日と15日におこなわれた会議のことでしょう。事後的に見るならば、その「会合」で、その後の日本人研究者による類人猿研究の命運が決まることになるのです。

編集・執筆:中村美知夫
2026/1/15


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